三光のいろんな取組 第11弾 伊万里湾開港50周年事業イベントに参加 | 年間6,000件以上の制作実績を持つ印刷会社三光の記事です。

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三光のいろんな取組 第11弾 伊万里湾開港50周年事業イベントに参加 | 年間6,000件以上の制作実績を持つ印刷会社三光

2017年10月28日(土)
三光のいろんな取組 第11弾


こんにちは、三光の池田です。

 

今回は、技術面ではなくイベント参加に関してです!

11月3日(祝)・11月4日(土)の2日間で「伊万里湾開港50周年記念イベント」が伊万里湾の七ツ島工業団地と久原工業団地の2箇所同時に開催されます。

弊社も企業展に参加し、会社で取り組んでいる事を市民の皆様にご紹介していきたいと考えています

● muchu!アプリのダウンロードキャンペーン
● ミニ4駆のチャレンジコーナー
● VR体験コーナー
● ARを活用した情報の拡張表現
● 印刷物のデータを多言語に対応した電子ブック
などなど色々と企画しています

 

いろんなイベントが盛沢山に予定されてます

●帆船「日本丸」による一般公開、セイルドリル(帆を張る訓練)
●帆船「みらいへ」による伊万里湾クルージング
●自衛隊掃海艇、海上保安部巡視船による一般公開
●物産展、企業等PR展(会場内展示ブース設置)
●波多津みなと祭り(50周年記念イベントに合わせ開催
●プロジェクションマッピング(伊万里港の歴史、現在、未来)
●花火打ち上げ
 

 

伊万里湾の歴史

『今』も『昔』も世界とつながる 知っていますか?国際貿易港 伊万里港
古くは焼き物の積み出し港として栄え、現在は国際的な物流の拠点としての役割を担っている『伊万里港』。来年は貿易港としての開港指定から50 年を迎えます。今回は、その歴史的な背景から現在に至るまでの役割の変遷を通じて、可能性を大きく秘めた伊万里港の未来を考えます。
 
縄文時代…黒曜石を通じた中国大陸との交流
約3000年前の 縄文時代には、黒曜石が石槍りや矢じりなどの 材料として使われていました。西日本や朝鮮半島では、伊万里の腰岳産の黒曜石が発見されています。このことから、縄文時代に伊万里から船で運ばれ、中国大陸との交流が行われていたといわれています。
 
江戸時代…焼き物の積み出し港として発展
伊万里港の最奥部には、伊万里川と有田川の2つの河川が注いでいます。このうちの伊万里川河口部からは、肥前陶磁器の積み出し港として、17 世紀後半から18世紀にかけて多くの焼き物が、遠くはヨーロッパまで 積み出されました。これらは、『古伊万里』として世界に知られています。
 
大正~昭和20年代…石炭産業の隆盛と伊万里市誕生
大正時代以降の石炭産業の全盛期には、石炭の積み出し港として大いに栄えま した。昭和26年には、国の海上輸送網の拠点となる『重要港湾』に 指定されています。さらに、昭和29年には伊万里湾を囲む2町7村が 、伊万里湾の開発を進めることを目標に合併し、伊万里市が誕生しま した。
 
昭和30年代…工業団地などの開発が本格化
昭和30年代になると 、国のエネルギー政策の転換によって、石炭産業が衰退しました。石炭の積み出しが減るにつれ、港の勢いも低下してしまいます。しか し、昭和30年代後半以降、伊万里湾の開発が本格的に始まり、港湾施設や臨海部の工業団地が整備されました。企業の誘致を積極的に行った結果、木材加工業や造船業などの企業が 立地するなど、工業港として発展していきます。久原北地区においては、原木、石炭、砂利・砂などの貨物の取り扱 いが行われるようになりました。久原南地区では、伊万里団地が造成され、水産や木材関連企業、半導体の大手企業などが進出。七ツ島地 区では、七ツ島工業団地が造成され、造船業などの企業が進出しました。現在、市内企業の製造品出荷額は県内でも一、二を争う状況にあり ます。
 
昭和40年代…国際貿易港としての機能を強化
昭和42年には国から『開港指定』を受け、外国貿易が可能となりました。さらに、同年9月に木材輸入特定港、11月には出入国管理港、昭和46年10月には検疫港として指定。このことにより、世界に開かれた国際港として位置づけられました。
 
平成9年…コンテナターミナルが供用開始
七ツ島地区では、平成9年4月に伊万里港国際コンテナターミナルが供用を開始し、韓国 ・釜山港との間に国際コンテナ定期航路が開設されました。また、平成25年4月には作業効率が飛躍的に上がるガントリークレーンを備え た水深13メートルの岸壁が供用を開始しています。

 

皆さんも是非会場に足を運んでみてくださいね!