2018年6月1日(金)
竿燈まつりIN武雄
竿燈まつりIN武雄について書くのですが
このアプリにはいろいろな機能があって
一番人気は地域のチラシを見ることができるコンテンツですが
カレンダーが出てきますので、みたい日をタップすると
下にイベント情報が表示されます。
詳細情報が表示されます。
さて、去る5月12日に武雄で東北三大祭りのひとつ
竿燈まつりがあったのですが
以下、体験レポートをまとめます。
まずは自家用車を武雄市文化会館に駐車して、16時からの鷹匠のイベントを見ようと
武雄市役所新庁舎に向かいました。
武雄市役所はGW明けの5月7日から業務開始したばかりで
女性の鷹匠でした。
会場からイベントに参加希望されたご夫婦が2人で輪を作り
みごとに成功です。
次に大人数でアーチを作り、そこを潜り抜けました。
屋台のたこ焼きとから揚げを食べて腹ごしらえをし
メインイベントの竿燈を見るために武雄の旅館通り(楼門前)に向かいました。
ものすごい人の多さで、歩くのもやっとでした。
さて、そもそもなぜ武雄で秋田のお祭りがあるのか?
以下佐賀新聞LIVEを引用します。
”武雄市で12日、東北三大祭りのひとつ「秋田竿燈(かんとう)まつり」の妙技が披露される。
国重要無形民俗文化財の伝統の技を楽しむと同時に、武雄と秋田を結ぶきっかけとなった
150年前の戊辰戦争(1868~69年)にまつわる出来事にも思いをはせたい。
戊辰戦争では、東北で唯一新政府軍に付いた秋田藩の援軍として佐賀藩士が秋田に赴いた。
武雄からも約800人が出兵し、旧幕府軍に包囲される激しい戦いの中で14人が戦死したとされる。
1986年、秋田市で区画整理のため無縁仏の墓石を移すことになった。
そのうち3基は「佐賀藩兵」や「肥前武雄」などの文字が刻まれた佐賀藩士の墓だった。
はるか九州から来て秋田のために亡くなった彼らの魂を慰めようと、秋田の人が身元調査を始め、
武雄に子孫がいることが判明。88年には葉隠墓苑がつくられた。以来、民間を含めた交流が続いている。
竿燈まつりは、そうした縁があって武雄に招かれる。1993年に佐賀市と武雄市で演じられて以来、
2度目の招へいで、今回は武雄市が明治維新150年を記念して秋田市に要請した。”
(引用ここまで)
竿燈は5基あり、それぞれが提灯が5m程度の高さに組まれているのですが、
4か所開催で1回目は楼門前で、
そこから4回目開催の市役所新庁舎まで移動していくようです。
提灯を移動させている写真がこちら
移動が終わると演舞です。
このでかい竿燈をなんと1人で持ち上げるのです。
持ち上げた後は手のひらに乗せたり、
頭の上に乗せたり、腰に乗せたりとハラハラドキドキでした。
さらに凄いのが竿の長さを継いでいき全部で10m程度にしてしまうのです。
長くなると竹竿がしなるので、担ぎ手はバランスを取るのが困難になってきます
他の4基もバランスを崩して、電線に絡まったりとハラハラドキドキでした。
これを見て、竿燈まつりがなぜ東北3大まつりなのか
わかったような気がしました。
ハプニング必死、スリル満点なお祭りでした。(西田)